京都の天然藍染を再興した松崎陸さん☆美しいジャパンブルーとの出会い
「天然の藍なら絶対に色落ちはしません」と若い男の子がキッパリ!
「でも何十年も前に色落ちして帯に着いてしまったので、藍染は扱わないことにしたんです」
私も何十年もプロとして本物を扱ってきた自負があります。話は平行線でお互いに譲りません。
きっと彼にも、私にも小さな火花が散っているのが見えたでしょう。
それが大久保寛司さんのセミナーで、松崎陸さんとの初めての出会いでした。
昨日は陸さんの工房、税理士中田俊さんが運営されている京都市の南西部、大原野の古民家へ伺いました。
「子供の頃にこんなことを思いっきりやってみたかったな〜」
お家を見た途端、温かみを感じたのは子供たちがガラスに描いた絵でしょうか?
まずは皆んなでランチ。
インダス文明が栄えたインドでは6500年前の死者を弔うために藍染の布が用いられ、
日本でも飛鳥時代から始まっていた歴史ある染めであること、
「藍」という植物はなく、蓼(植物)から染めること、
その種類は世界で4種類あり、日本ではほとんどがイヌタデであること、
天然藍と化学染料の違い、そのメリットデメリット
陸さんの説明は藍への愛情と信念に満ちていました。
松崎陸さんがなぜ藍にこだわるのか?
大学の卒業を前に就活にかかった時、採用してもらいたいためにエントリーシートに嘘を書くのは嫌だと思ったそうです。就活をやめ、世界のものが集まるニューヨークへ行きました。そこで出会ったのが「ジャパンブルー(藍)」
日本へ帰った直後に、藍染の特集を見て「これだ!これを染めたい」と思った陸さんは、京都の「染め師よしおか」吉岡さんに弟子入りを申し出ます。「もう弟子は取らない」と言われる吉岡さんに“ストーカー”のように日参し、とうとう愛媛県で2年間修行してきたら弟子入りを認めると言われました。(日本昔ばなしのようなお話です)
愛媛では蚕を飼い、糸を取り出し、機で織り、着物に仕立てるまでを経験しました。京都へ帰ってめでたく吉岡さんへ弟子入りを許されました。藍染ができると思いきや、他の植物染料は触らせてもらえても藍染だけはダメでした。
というのも他の植物染料は植物を煮出して染め液を作るのに対して、藍染は発酵させなければいけません。ご機嫌を損ねると(取り扱いによって)瞬時に染まらなくなってしまいます。藍染がやりたい陸さんは蒅(すくも)と木灰を買ってきて、自宅の風呂場にバケツで染め始めました。でも全く染まりません。小遣いは消えていき、ゴミばかりになっていきました。そんな日々を過ごし、何年か経つうちに藍染の経験も積み、晴れて独立を許されたのです。
陸さんは亡くなった吉岡さんの最後の弟子ということになりました。
説明が終わって、ハンカチを染める体験になりました。
「この生地、すごい!」その時渡されたハンカチの生地を触って瞬時に思いました。
体験だからといって“綿なら何でも良い”というのではないのです。
渡されたその生地は糸が細くて滑らか、綿として最高の生地で四方が細く丁寧にミシンが掛けてありました。
その時思い出したのが
「染める生地の選び方は全てを決める」という「染の百趣 矢野」さんの言葉でした。
その時のお話はこちらです。
「単」の季節も「薄物」の季節も、半年着られる「九本絽」の着物☆「染めの百趣 矢野」見学記2
染場へ案内され、
詳細にわたる説明は素人でもムラなく染められる方法でした。
「今日はこの藍が一番元気なので濃く染まりますよ」
水の中で生地を濡らし、空気を丁寧に抜き、藍液の中へ空気が入らないよう静かに浸します。
3分間手で優しく揉み込み、水で洗います。
水の中で酸化され、少し緑がかった薄い青色が綺麗な藍色に変わっていきます。
美しい〜〜〜
ムラにもなっていない!
何度か藍染は体験したことがありますが、この美しさは今まで体験したものとは別物です。
「僕はいろいろなものを取り去って、藍と木灰だけで染める室町時代のやり方で染めています」
陸さんが言われたように
雑味が全くない清らかな藍の色でした。
彼が追い求めている「Japan Blue」
天然藍の色とはこの雑味のない色なのだと思いました。
「天然藍しか使っていなかったら他のものに色が移ることはない」信念を持って言い切った陸さんにかけてみようと思いました。
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