1300年の歴史を体験、ぎふ長良川の鵜飼と絶品あゆづくし会席を味わう会
「おもうしろうて やがてかなしき 鵜舟かな」
岐阜を訪れた際、鵜飼見物をした松尾芭蕉が残した句です。
私はこの句は鵜飼見物の面白さとせっかく飲み込んだ鮎を食べられない鵜の悲哀だとずっと勝手に解釈していました(現実的な私です笑)
その意味は能『鵜飼』の中での謡い(能の声楽部門)から由来していたとは!
岐阜の鵜飼は天皇家へ献上していたので、禁猟区が設けられています。
そこは水深が深く平素は量をしないために今でもそこには鮎がたくさん集まっています。
能『鵜飼』はその禁漁区で漁をしたために川に沈められた鵜匠の亡霊が、鵜を使いこなす手際を再現する場面が見どころの曲です。最後は「鵜舟の篝(かが)り影消て、闇路に帰るこの身の、名残惜しさをいかにせむ」(鵜飼舟の篝火の光も消えて、暗いあの世へと帰るわが身の、名残惜しさをどうしよう)と結ばれます。
長良川の鵜飼はすでに大宝2年(702)の正倉院宝物にその名が見られ、1300 年以上の歴史を持っています。
織田信長は、武田信玄の使者に鵜飼漁を見せてもてなしたと言われ、
江戸時代には参勤交代等の折に、大名が長良川の鵜飼漁を観覧しに岐阜を訪れて全国に広く知られていたことがうかがえます。
少なくとも江戸時代終わり頃から、鵜飼漁の漁法、道具の形態、装束等は変化していないそうです。
重要な方を接待した長良川の鵜飼を、自分のおもてなしに体験してみませんか。
あと3名さま、プレミア舟に乗れます。
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