お盆に先祖を思う☆お墓から読み取る先祖の生活
「この大雨では盆提灯もダレちゃうねー、でも付けなちゃお盆の意味ないし~」
盆提灯は
そこで、ショッピングセンターで備え付けの、あのビニール袋をかぶせて飾ることにしました。
盆提灯は先祖の霊が家に帰ってくるのをお迎えするために提灯を灯したのです。
ところで、少しだけ自分のお楽しみ時間を作ろうと思って読んでいた「あきない世傳 金と銀」
江戸で呉服屋の当主となった女性の商いの奮闘記です。
11巻は
浴衣を湯上りだけのものではなく、
外へ来て歩けるように普及させようとしている話です。
ところで、時は「宝暦年間」とありました。
アレっ、そういえば、
当店の先祖がとなり村から揖斐の城下町にやってきて店を始めたのが「宝暦年間」でした。
宝暦は1751年から1764年までで、江戸幕府の将軍は、徳川家重(いえしげ)(9代)、徳川家治(いえはる)(10代)に当たります。
明治時代まで、大きな街では絹を扱う「呉服屋」と綿を扱う「太物屋」が別でした。
田舎なので何でも扱っていたのか?
初めにどちらだったかまでは定かではありません。
お墓を見てみたら中心に「智信」の文字がありました。
初代の「兵八(ひょうはち)」です。
それから代々、当主になると「兵八」を名乗り、八代まで続いていました。
先祖代々のお墓の四角い部分には四面すべてに名前が彫ってあって、これ以上もう入れられないということで、一昨年新しいお墓を作った時にそのあとに亡くなった人からの名前を入れました。
ちょうど明治からになっていて、
八代目の兵八が明治22年に40歳の若さで亡くなっていました。
一人では料理旅館と呉服屋両方の経営は無理だったので、
女性ができる呉服屋だけにしたのです。
その妻、すぎは大柄で、竹を割ったようなさっぱりした人だったそうです。
料理屋でとっくりに飲み残したお酒をご飯にかけて「お酒漬け」をやるのが楽しみだったそうです。
とても豪快な人で85歳まで生き、一人で店を切り盛りしていたということです。
お墓を見るとその人たちの人生も透けて見えてきます。
こんな機会にお墓をじっくり見て、名前や亡くなった年、その人たちの関係性に思いをはせてみるのも良いかもしれませんね。
まちがいなく、この人たちがいなければ今の自分はこの世に存在しないのですから。
携帯で雲の動きをチェクしながら、赤い雲が来ないうちに慌てて帰ってきました。
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