京都の料理屋さん「お箸」からのメッセージ1☆「品格の教科書」P118ヌードルハラスメント?日本ではすする音も良し
日本人は食事の動作すべてを一対の箸で済ませます。
食材をつまむ、切る、ちぎる、裂くなどの動作を箸のみで行ってきました。
汁は器に唇をつけて飲むようになりました。
お椀が木製だったので、中が熱くても手で持って飲めたからです。
私には京都で尊敬する料理屋さんのご主人がいます。
おりょうり「はやし」の林亘さんです。
(写真は食べログより)
もう30年以上のお付き合いになります。
最初の京都大阪版ミシュランガイドが始まると噂になった時、京都の料理屋さんはどこが載るのかとあちこちで話題になっていました。
「はやし」さんにも調査官が抜きうちできたらしく、掲載が決まりました。
写真を撮りたいと正式に来店されたのに対して「載せて要らない」と林さんは奥へ入ってしまいました。
そこで、掲載されなかったと思いきや、京都タワーの写真でごまかしてありました(笑)
あっぱれ!
な〜んか、痛快でした!!
林さんと私の関係性を理解できないかもしれませんが、
単なる料理屋の親父さんと客ではありません。
私が彼のところへ食べに行くのは教えを請いに行くつもりで行くのです。
彼の一筋も二筋も通った信念ある生き様に触れにいく感覚です。
ある時、カウンターで彼と話しながら食べていました。
茶碗蒸しのような蒸し物が出された時、
隣の席の人が「お匙ください」と言ったのです。
そしたら、彼はキッと表情が変わって、
「日本に匙という文化はない。すすって食べるものです」
あの時の顔、怖かった〜〜!
日本の食文化を歴史からきちんと理解して料理を出している彼の心情を感じた時でした。
茶道では「主客一体」
「場」は招く亭主と招かれた客、双方で作り上げるものだという考え方があります。
私は常に林さんからそれを学んでいます。
お金を払うから客が当然のように要求する、
それに対してお店側は要求されたままを飲み込む、
それは違います。
長年、修行して作り上げられてきたその方の努力と積み上げられた技術に対して尊重し、
お料理を食べさせていただくという客側の姿勢でこそ成り立つものです。
それによって、良い時間、良い場を過ごせたことにお金を払うのだと思うのです。
「品格の教科書」は全国の書店さん、
またはアマゾンで手に入ります。
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