中国から伝わった「十五夜」と日本だけの「十三夜」☆不完全なものに美しさを見出す日本人の「美意識」
京都さんぽ
「なんて澄んだ綺麗なお月さま!」今日は十三夜だったのです。
今日はこの月を京都の黄檗山、萬福寺で見ていました。(そのお話はまた後日に)
十三夜は「後の月」と呼ばれ、十五夜の約1ヵ月後です。
十五夜は中国から伝わってきましたが、十三夜は日本固有の風習です。
十五夜だけを愛でるのは「片見月(かたみつき)」と呼ばれ縁起が良くないため、十五夜にお月見をしたときには十三夜にも必ずお月見をするものとされていました。
夏の暑さが残って雨の多い十五夜よりも十三夜の頃は晴れることが多いため
「十三夜に曇りなし」とも言われています。
お月見では秋の収穫に感謝するため、収穫物をお月様にお供えします。
十三夜の場合は、13個のお月見団子を用意しお月様から見えるところや床の間にお供えします。
祖母はお団子といっしょに果物や野菜をお供えし、お月様を拝んでいました。
お供えしたものは、もちろん美味しくいただきます。
神様との結びつきが強くなると考えられていたからです。
私が中学の時でした。父が店舗を改築し、山本呉服店の新しいロゴを考えていました。
最終的に決めたのは半月の中に山本呉服店の文字を抜いたロゴでした。
藤原道長の和歌に
「『この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば』と言うのがあるが、満月のようにもうこれ以上は無いと慢心したから藤原氏は滅びたんや。半月はまだこれから伸び代があるからな。」
「望月(もちづき)」は満月のこと。自分の望みは全て叶ったと栄華を誇った歌です。
そんなふうになってはいけないと自分を戒めていたのが思い出されます。
日本人には不完全なものに美しさを見いだす美意識があります。
昔の人は完璧な姿の満月だけでなく、満月が少しだけかけた十三夜の月に趣を感じていたのでしょう。
父もそうした価値を良しとしていたのでしょう。
秋の澄んだ空気の中、ふと立ち止まり、美しい月を見上げてみる。そんな心休まる時間も素敵ですね。
昨夜10月8日は十三夜だったのですね。気が付きませんでしたが、何となく気になってお月さまの方向を見ました。石川県は曇りで、雲の間から時々月が顔を出すという昨晩でした。お供えした月見団子を後からいただくのは、「神様に近づく・・・」なるほどーと思いました。それから、「この世をば、我が世ぞと思う・・・」の和歌は「平清盛」ではなく「藤原道長」だったのではないでしょうか?
岩井さん、コメントありがとうございます!とんでもない間違いをしていました。汗、汗
ご指摘ありがとうございます。
そして私に気遣って石川県のお月さまのお話を加えてくださった優しさに感謝しています。
本当に本当にありがとうございました。