長いからだけではない!年越しに「蕎麦」な理由☆「品格の教科書」P120

品格の教科書

「年越しそば」食べましたか?

 

蕎麦屋が開店したのは江戸時代です。

江戸時代は男性の単身赴任者が多かったと言うことからも庶民に愛され、蕎麦屋がたくさん出現しました。

 

 

元禄時代から流行った「ぶっかけそば」と区別して、汁につけて食べる蕎麦を「もりそば」と呼ぶようになりました。これはそばを高く盛り上げる形からついた名前で、盛り付ける器が「せいろ」「皿」「ざる」で名前が違いました。

「せいろ」とは蒸し器のことで、昔はそばを茹でずにせいろで蒸して食べたことから名前があります。

 

 

私が着物の勉強でしばらくいた金沢市は、加賀百万国の時代から400年にもわたって金箔の生産が盛んで、国内生産の99%を生産してきました。

 

薄暗くこじんまりした部屋で、約2グラムの金を畳1畳の大きさ、約10,000分の1ミリの薄さまで伸ばしていました。金と言う高価なもの扱い、繊細な作業なので風で飛ぶのを嫌い、夏場の暑い時でも家を締め切って汗だくで行われていました。

目に見えないほどの細かい金箔が仕事場に飛び散ることから、埃といえども粗末にはできません。

 

 

「一年に一回しか掃除しないんだよ」

 

年末に1度だけその金が混じっている埃を「そばがき」の団子にくっつけて集めたといいます。

そこから「金を集める」と「掛け金の回収」をかけて、縁起を担いで各人の回収前にそばを食べるようになったのです。

 

年越しそばを食べるようになったのはそのげんかつぎが晦日や大晦日にそばを食べると言う習慣として広まったからと言う説があります。

 

また、細く長い蕎麦にあやかり、長寿を願い家運が長く伸びるようにと食べたとも言われます。ですから年越しそば食べ残すと苦労すると言われ、年が明けてから食べるのは忌むべきことされました。

 

うどんも同じように長いのですが蕎麦の代わりにはならないのです。

山本由紀子

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明治創業、岐阜の山本呉服店に生まれ着物に囲まれて育つ。大学時代を京都の親戚で過ごし金沢の呉服屋さんで勤め山本呉服店入社、代表取締役。雑誌商業界などで「売らず...

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