煎茶伝来の宇治・黄檗山萬福寺で煎茶のお茶会
京都さんぽ
「京都黄檗山でお月見煎茶会があります。ご都合よければご一緒にいかがですか?」
いつも京都で着付け教室に来てくださっているMさまが誘ってくださいました。煎茶が美味しく淹れられない私はいつか煎茶の会に連れて行ってもらいたいとお願いしていました。
黄檗山萬福寺は中国福建省の出身の禅宗の僧侶「隠元禅師」が江戸時代初期に来日し開いたお寺です。
今年は宗祖隠元禅師の350回目の年忌だそうです。
煎茶道を持ち込み、煎茶道の開祖とも言われています。
隠元のもたらした茶は、釜炒り茶で、この煎じ茶のことを隠元茶と呼んだりします。
現在でも、全日本煎茶道連盟の事務局は、黄檗山萬福寺内にあります。
この日は煎茶道の七流派が合同で、日本における煎茶発祥地「黄檗山萬福寺」で茶席を設けられていました。
禅寺でよく見る木の彫り物の魚です。黄檗山のものは巨大でした。
「魚板」は、黄檗宗の寺院に特有の木製の法具で、食事の時刻を知らせるためのものです。
これも隠元禅師が日本へ持ち込んだものです。
京都市内から遠く離れている萬福寺は学生時代に一度行ったきりで、真夏に広い伽藍を汗を流して歩いたこと、本殿の囲いが「卍字くずし」で異国情緒に溢れていたことを覚えています。
お祭りの日だからでしょうか、いきなり華やかな飾りのお出迎えにびっくり!
オレンジのランタン、華やかな花で溢れ、ゆるキャラのような人形が出迎えてくれました。
ここは京都じゃない!!
開祖の隠元(インゲン)和尚はインゲン豆、西瓜、蓮根、孟宗竹、木魚(もくぎょ)などを日本に紹介した人としても知られています。
「普茶料理」と呼ばれる中国の精進料理も、隠元が伝えました。
「普茶」とは「普く(あまねく)大衆と茶を供にする」という意味から生まれた料理で、日本の精進料理とは違って、とても豪華な食事です。
医学、書、茶などに優れ、文人趣味をもたらしたのも隠元です。
いつもお世話になっている「明朝体」という文字は、隠元などを介して日本に伝わったといわれています。
異文化のように思える黄檗山萬福寺ですが、食から建築、医学まで私たちの生活に深く根付いているのですね。
<煎茶のお茶会の模様に続く>
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