丼飯にお酒をかけてサラサラ 山本呉服店創業者「すぎ」☆山本呉服店 創業物語2
由紀子の日々
明治維新の頃には料理旅館と呉服屋が宇を半々に分けて営業していました。
当主は歴代「兵八(ひょうはち)」を名乗り、屋号は山本兵八から「山兵(やまひょう)」と呼ばれていました。
八代目となっていた兵八ですが、明治22年40歳の若さで亡くなりました。
妻「すぎ」は一人では両方は大変だったのでしょう。料理旅館をやめて呉服屋専業としました。
その時を山本呉服店の創業として今年で134年となります。
「すぎ」は160センチ以上あって背が高く骨っぽい人で、豪快な性格だったと聞いています。
料理旅館の後片付けをしている時、とっくりに残ったお酒を白ごはんにかけて「お酒漬け」でサラサラが楽しみだったとか。京都のお婆さんから「おすぎさんはゆきちゃんに似ていたよ」と言われ、私はそんなことできないわと苦笑しました。
会ったことはないけれどその話を聞いて、豪快な愛すべき自慢の曽祖母!
それほどの人だったから女で一つで呉服屋ができたのでしょう。女性が着る着物を作り売る仕事ですが、呉服業界は今でも男性社会です。まして明治、大正にはいかばかりか、大変苦労したのだろうと推測できます。
兵八が早く亡くなって、呉服屋専業になったのも今からすれば「なるべくしてなった」ように思えます。生き抜くために呉服屋を選んでくれたすぎさんに感謝しています。
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