私をマナー嫌いにした優しい笑顔の祖父、2代目余一☆山本呉服店 基礎創造期3
一人娘だった祖母と結婚して山本呉服店2代目となったのは、余一でした。
余一は隣町の農家の次男で、尋常小学校を出ると10歳で大きな呉服屋に奉公に行き、20代前半で番頭になった人でした。「誠実」を絵に描いたような人で、真面目にコツコツ人のためには身を粉にして働いた人でした。
余一は無口な人で一緒に暮らしていた私もほとんど話した記憶がありません。
丁稚から叩き上げた人でしたので、行儀作法にはめっぽう厳しくその圧の強さはすごかったです。
ご飯を食べるときはテレビを消し、ちゃぶ台の周りに家族がきちんと正座をし、祖父が「いただきます」というとそれから黙々と食べました。口に食物が入っている時に話すなんて絶対に許されなかったからです。
当時は板の間に座布団さえ引かずに正座をしていたので足が痛くて早く食事を終えて解放されたかったのに、祖父が「ごちそうさま」をするまではじっとしていなければいけませんでした。今でもあの拷問のような時間を思い出します。
「品格の教科書」の冒頭「はじめに」で、作法やマナーなんか大嫌い!ぶち壊したいくらいという気持ちになったのは、あの食事の時間が思い出されたからです。
「怒った顔を見たことがない」毎日顔を合わせた近所の人でもそう言われたほどいつもニコニコしていました。
でも、一回だけものすごい勢いで叱られた記憶があります。
五つ玉のそろばんを裏返して、その上に足を乗せスケートのようにして遊んでいたのを見た時でした。
いくら子供でも、商人の命とも言えるそろばんを足蹴にしたことが許せなかったのでしょう。今でもあの恐ろしい顔は忘れられません。
余一は温和そうに見えていてもその思いは半端なくて、自分も家族も犠牲にしてでも譲らない芯の強さを子供心にも感じていました。だからこそ、たくさんのお客様から信頼されて戦前には地域一番店となっていたのだと思います。
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