高田郁さんの人気小説「あきない世傳 金と銀」から先祖の暮らしを思う2

由紀子の日々

「おじいちゃんだけじゃなかったんだ」

「あきない世傳 金と銀」を読んでいて初めて納得しました。呉服屋だけではないかもしれませんが商家の食生活は江戸中後期の生活を明治、大正時代まで引き継いでいたようです。

 

[あきない世傳 金と銀より]

大坂の商家は極めて粗食だった。

昼にご飯を炊いて、青物を煮たり炊いたりしたお菜が一品。月に2度ばかり魚がつく。夜は冷ご飯でお茶漬け。翌朝は誇った冷ご飯を茶粥にする。朝夕のお菜は大抵、天満大根の香々(漬物)のみ。一年を通じて実につつましい内容だった。

江戸っ子は朝に1日分のご飯を炊いて、熱々の味噌汁を添える。佃煮や納豆、煮豆などを買い求めお菜とする。昼には魚を煮たり焼いたりして一菜。夜は「おじや」と呼ばれる雑炊を食す。

 

「倹しい食事は大坂の商家の習いとして積み上げられたものだから、急には無理かも知れない。それでも大坂本店と高島店の食を、少しずつ変えていくように、手を打ちます。」

 

「よいっつあが怒ったかをを見たことがない」近所の人も言われるくらいいつもニコニコして寡黙な人でした。

 

祖父「余一」は農家の次男として生まれ尋常小学校4年生で近くの大きな呉服屋さんへ奉公に出ました。暗いうちから起きて店を開け掃除をする習慣はその頃身についたものなのでしょう。祖母と結婚して山本呉服店へ養子に来て2代目(呉服専門店としての)となって 71歳で脳梗塞で倒れるまで、朝早く起きて店を開けどんなに寒くても上半身裸で乾布摩擦をしていました。

 

奉公に行って誠実に働いて多くのお客様から信頼を得て売り上げを伸ばし、10代で異例の番頭になったそうです。毎日の食事はとても質素でご飯に味噌汁、漬物、夜はお浸しがついたくらいだったそうです。その頃お嫁入り衣装を一式買っていただいたりして多くの売り上げがあると魚がついたそうです。

家族にはほとんど話さなかった祖父ですが、自分を慕って同じところへ奉公に行くと言った弟に「絶対来るな」と烈火のごとく怒ったそうです。厳しい暮らしぶりに弟を引き入れたくなかったようです。

 

江戸時代、中後期の宝暦年間9代将軍の頃に城下町として栄えた揖斐の街へ初代の兵八が移り住んで商いを始めました。残念ながら何の商売だったかはわかりません。

 

「あきない世傳 金と銀」の時代は江戸時代、8代将軍徳川吉宗がなくなった後です。奇しくも宝暦年間、ちょうど山本呉服店の初代「兵八」が商売を始めた頃でした。

 

時代を重ね合わせながら読んでいると「この頃から始まったことなのか」とか「この頃の習慣を今も引き継いでいるんだなあ」と思うことばかりです。

 

そんな思いを紐解きながら着物の歴史を振り返ってみたいと思っています。こんな時代背景があったのかと興味深いことがいっぱいで私もとても勉強になります。呉服屋として今と比較しながら書いてみたいと思っています。

 

 

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山本由紀子

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明治創業、岐阜の山本呉服店に生まれ着物に囲まれて育つ。大学時代を京都の親戚で過ごし金沢の呉服屋さんで勤め山本呉服店入社、代表取締役。雑誌商業界などで「売らず...

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