僻地「揖斐」に感謝!山本呉服店の出店は人口減少から

由紀子の日々

あることをきっかけに、山本呉服店の歴史を振り返ることになりました。

小さい頃見ていた祖父(2代目)の事、 父(3代目)から聞いた事、その背景を私なりに描いてみました。

 

 

山本呉服店の創業は江戸中後期、その頃 大変栄えた城下町「揖斐」(いび)で兵八(ひょうはち)が商売を始めたことに遡ります。揖斐は濃尾平野の一番北部に位置し、背後の豊かな山間部との交流の拠点でした。小さな町ですが、つい十数年前まで2つの鉄道の始発駅がありました。県庁からわずか20キロしか離れていないのに県の出先機関、総合庁舎が今もあります。

 

小さな町にもかかわらず「揖斐祭り」という300年も続いている大きな祭りがあり、その歴史に裏打ちされた文化は確実に今も受け継がれていいます。揖斐川マラソンは全国のランキングでも常に上位を保っている大きな大会です。近年始まった「揖斐川ワンダーピクニック」というフェスも東海地区でも1、2を争う大きなイベントとなっています。また揖斐の伝説をオリジナルなオペレッタにして上演されています。台本も出演者も衣装、道具まで地元民で創り上げる文化性の高さは何百年続いた城下町としての文化性に裏打ちされたものだからこそと考えられます。

山間部が高齢化、過疎化していくに従い揖斐も人口減少し活気を失っていくのを3代目の社長は早くから感じていました。

 

「今後も揖斐1店舗で営業するなら着物だけでなくいろいろなものを扱わねばやっていけないだろう、着物だけで専門店として生きるなら出店するしかない」

 

3代目は後者を選んで、隣の池田町に店を作りました。昭和63年、呉服屋というと旧商店街にあるのが普通でしたが車社会を想定して、ロードサイドに敷地面積300坪、ゆったりした駐車場を持つ大型店をオープンさせました。

自店でワンフロア-150畳の展示会場を併設していつでも展示会ができるようにしました。

 

 

しかし池田店を作ってたった10年で(20年ほど前)人口減少はまたもや襲ってきました。成人式人口が前年の3分の2に落ち込んだのです。それをきっかけに岐阜の近郊、北方町に出店しました。

 

大都市に本店があればこれほど人口減少を感じることもなく危機感も持たなかったと思います。

近郊の都市からは僻地の代名詞とも言われる「揖斐」で商売をやっていたからこそ今があると思え、むしろ感謝しています。

 

つづく

 

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山本由紀子

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明治創業、岐阜の山本呉服店に生まれ着物に囲まれて育つ。大学時代を京都の親戚で過ごし金沢の呉服屋さんで勤め山本呉服店入社、代表取締役。雑誌商業界などで「売らず...

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