着物を取り巻く外部環境の変化と苦悩☆きもの業界は今

由紀子の日々

着物市場は20年前、2兆円あった市場規模は2800億へ、8分の1に縮小しました。

 

主要都市には必ずあった地方問屋はなくなり、ほぼ京都だけになりました。全国にあった産地も消滅したり細々と続いている状況で、残るのは京都はじめ極わずかになってしまいました。メーカーさんは高齢化もあって急激な廃業が続いていて止まりません。そして呉服の小売店も大幅に減っています。ネットショップも着物では大きな展開はありません。一時はもてはやされた古着市場も良質な着物がほぼ枯渇したことにより元気がありません。

 

紅白の「ゆたん」(幅広い紐)を飾ったトラックが何台入ったかは、お嫁入り(この言葉こそ、今では死語ですね)のステータスでした。

 

 

私が山本呉服店へ入社した頃はまだ婚礼需要がありました。お嫁入りが決まると東海地方では一生困らないほどのものを実家から財産分けとして持っていきました。着物、タンス、布団、電化製品、車、、など結婚式の1週間前にトラックを連ねて婚家へ運び込み、親戚や近所の人に披露する習慣がありました。たくさんのものを持ってくるお嫁さんはお金持ちのお家のお嬢さんとして大切にされました。お嫁入り道具はステータスシンボルであったため、女の子を持った親は結婚までに競うように準備したものです。着物をほぼ着なくなってもしばらくはその風習が続きました。

 

しかし物に対する価値観が、所有から使用価値に変わったことからあっという間にその風習もなくなりました。女性の社会進出や儀式に対する考え方の変化などにより、結婚式やお葬式といった日本では一番大切にしてきた儀式でさえ洋服ですませるようになっていって、着物は必需品ではなくなりました。

 

唯一、需要が見えるのが成人式です。20歳になると成人式には振袖で出席するのは既成の事実です。成人式は中学を卒業後5年ぶりの同窓会で、女性であれば綺麗になったとアピールしたい場です。親も当然その願いを叶えるべく競って高額な新しい振袖を買われました。しかし振袖は成人しか着ないコスプレと大方の見方が変わりレンタルにシフトしていきました。呉服屋でさえレンタル屋になっていきました。

決定的に流れを変えたのが昨年の成人式の「ハレの日事件」です。成人式当日になって業者が現れず振袖がなくて成人式に行けない方が多く出て社会問題となりました。それを機にお母様の振袖をそのまま着て済ます風潮が広がって呉服屋を訪れる機会もなくなりつつあります。また国会では成人を18歳にする法案が可決されました。成人式を18歳でするか今まで通り20歳にするかは自治体任せとなるに至って、唯一残された着物需要も危うくなっています。

 

着物業界を取り巻く環境はネガティブな要素ばかりです。不況業種の最先端のように思われていますが、このような現象は他の業界でも同じではないでしょうか。

生活習慣や価値観が大きく変わってきた現れだと思っています。

 

いかにその変化をとらえて、お客に共感を持っていただけるかでしょう。

 

「うちがなあ〜、せめて何百億も売上げてる店なら景気も関係あるやろうけど、この程度の売上げやったら一人一人のお客様をどれだけ大切にできるかだけや」

 

苦笑していた父(三代目)の言葉がよみがえります。

「どうにもならない他所のことをごちゃごちゃ言ってる前に一人一人のお客様のために動け」と。

 

つづく

それ以前のお話はこちらです。

僻地「揖斐」に感謝!山本呉服店の出店は人口減少から

 

 

 

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山本由紀子

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明治創業、岐阜の山本呉服店に生まれ着物に囲まれて育つ。大学時代を京都の親戚で過ごし金沢の呉服屋さんで勤め山本呉服店入社、代表取締役。雑誌商業界などで「売らず...

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