羽根つきに失敗するとなぜ顔に墨を塗ったのか?☆お正月の風物詩

日本文化であそぼ

「お正月に羽付きして遊んだのはギリギリ50代まで位かなぁ」お正月に店頭に飾ってあった羽子板を片付けようとしてそんな話題になりました。羽子板は1月15日まで飾ったものですが、成人式の日にちが変動するようになって、当店でも成人式が終わったところで節目をつける意味で片付けるようにしています。

 

飾ってあった羽子板は30年ほどにもなるでしょうか、京都丸紅さんの着物の逸品展に出品してあったいわゆる工芸品です。羽子板も人形と同じで顔の好き嫌いがあります。目がぱっちり、外国人のような顔が多くなっている中で、古典的で上品な顔が気に入りました。どうしても欲しくて3点買ってしまいました。(羽子板は「枚」「点」羽根は「本」と数えます)

 

羽子板が初めて登場したのは室町時代です。「正月五日に宮中で、こきの子を勝負した」と書かれていて、徐々に魔除けや厄払いの道具として使われるようになりました。羽子板は胡鬼板(こぎいこ)と呼ばれ、羽根は胡鬼子(こきいこ)と言い蚊を食べるトンボに似せて作られました。

 

江戸時代になると歌舞伎役者などを形どった押し絵の羽子板が流行し、幕府の贅沢禁止令に触れるほど豪華なものになっていきました。

私が手に入れた写真の羽子板はまさにその頃の流れをくむ羽子板で、女性の方は舞踊「汐汲」男性の方は歌舞伎「勧進帳」の弁慶をミチーフにしたものです。現代では東京都の伝統工芸品に指定されています。

もちろん、このような工芸品を振り回して羽根つきをすることはありません。飾っておくものです。

 

 

羽根つきには2人もしくは数人が向かい合って羽を付き合う「追い羽根」と一人でついてその数を競う遊び方があります。どちらにしても羽を落とした方が負けで、顔に墨で○や✖️墨を描かれます。失敗した人の顔が落書きで変な顔になるのを見て大笑いすることで、その人に付いた悪霊を追い払えると言われています。お正月しかやらない羽根つきは誰しも失敗するので全員の悪霊が取り除ける事になるのです。

 

「そういえば去年の年末は羽子板市のニュースを聞かなかったね」江戸時代から、毎年12月17日から19日まで浅草の浅草寺で開催されている伝統のイベントも開かれなかったようです。

子供たちがおい羽をついて遊ぶ姿も無くなりました。福笑いもこま回しも、いつの間にかやらなくなりました。

 

 

「お正月の風物詩なんてなくなってしまったよね。なんだか今の子はかわいそうな気がする」「私たちの頃はお正月だったらこんなことしたなぁって言う思い出があるのは幸せかもしれない」

山本呉服店の年長さんスタッフたちがため息まじりに呟いているのを、若いスタッフが黙って聞いていました。

「昔はこんな風だった」たわいのない会話こそ、消えてしまっていく「文化の伝承」かもしれないのですね。

 

 

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山本由紀子

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明治創業、岐阜の山本呉服店に生まれ着物に囲まれて育つ。大学時代を京都の親戚で過ごし金沢の呉服屋さんで勤め山本呉服店入社、代表取締役。雑誌商業界などで「売らず...

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