神社で「パンパン」柏手を打つのはなぜ?☆出版への道「サキ読み」まであと5日

日本文化であそぼ

「一人生えでいっぱい百合が咲いたね」裏の玄関を出ると三輪神社との境に、今にも咲きそうな山百合が咲いています。

その足元に流れている川は揖斐城のお堀の跡です。

三輪神社の神官さんによると、今も健在な石垣は江戸時代に組まれたそのままなのだそうです。

 

 

山本呉服店の岐阜の本店はまるで京都の町家と同じです。

間口は6メートルほどなのに、長さは80メートル以上もある「鰻の寝床」です。

京都の町家でもそうですが、間口の広さによって税金が課されたので、間口は広げず奥に長くしたのだそうです。

 

 

前は商店街ですが、裏は三輪神社です。

 

店のベランダから見た三輪神社。家の中には中庭があって雪も降ります。そこは全く外です、

 

三輪神社の神官さんとは曾祖母同士が仲が良かったことから今も親しくしています。

 

 

私にとって裏の三輪神社は祖母との遊び場でした。

体の弱かった祖母は動かずに見ていられるように、私が飽きない三輪神社を選んだのでしょう。

 

 

「お手てをパンパンして、マンマン、アン」

 

「かみさまはお寝坊さんだからね、パンパンして起こさないと、ゆきちゃんが来たことも知らないよ」

 

「そうか、それで手を叩くのか」と思ったものです。

 

 

パンパンと手を叩くことを柏手(「はくしゅ」ではなく「かしわで」)と言いますが、祖母が優しく教えてくれたように、

参拝に来た自分の存在を神さまに知らせる合図です。

 

 

柏手は「神さまとの交信」ですから神社や神棚など神さまを祀るところしか行ってはいけないのです。

お寺をお参りした時に手を打つのは大きな間違いです。

 

 

 

とすると「マンマン、アン」は仏さまをお参りする時と同じだったのは変なのですが、気持ちを込めて祈ることだったのでしょうね。

 

 

そもそも、お寺は中国から伝来した宗教です。亡くなった先祖を弔う意味があります。

それに対して、神社は「神道」という日本固有の信仰観に由来しています。日本人は昔からありとあらゆるところに神が宿って私たちを守ってくれていると考えてきました。

 

 

「神さま、仏さま」「神も仏もありゃしない」という言い回しの順番どおり、神さまの方が仏さまより格が上ということです。

 

先祖も尊い存在ですが、亡くなった人間よりも神さまの方が格が上ということです。

 

 

私も毎朝、散歩に行きますが、三輪神社をお参りしてからお寺のお墓へ行きます。どうしてもお墓が先に行かなければいけない時は一旦家へ帰ってから出直すことにしています。

誰にも話したことはありませんが、先にお寺へ行ってから神さまにお参りすることは神さまに失礼な気がするのです。自分なりのこだわりです。

 

 

本には、歴史に基づいて、私が家族や周りの人から教えてもらった意味やエピソードを入れて書きました。

 

まずは8月26日から始まる「サキ読み」で試し読みをしてみてください。

 

 [サンマーク出版 サキ読み]

 

と検索すると、サキ読みできる本が出てきます。

 

現在はまだサキ読みできる本がありません。

 

 

本の題名にチェックを入れると、

最初の何ページかが読めます。

 

私が書いた本も、8月26日(予定)から「サキ読み」ができます。

 

 

題名が公開できるようになったらこのブログで書きますね。

 

「サキ読み」までカウントダウンが始まりました。

 

あと5日です!

 

 

 

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山本由紀子

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明治創業、岐阜の山本呉服店に生まれ着物に囲まれて育つ。大学時代を京都の親戚で過ごし金沢の呉服屋さんで勤め山本呉服店入社、代表取締役。雑誌商業界などで「売らず...

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