お彼岸と地獄絵ー閻魔さまとお地蔵さま☆「品格の教科書」P150しつけ糸に込められた子育ての教訓
お寺の鐘がゴーーーン、
あっ、今日はお彼岸だ、「播隆山へ行かなくちゃ」「地獄絵だ!」
慌てて裏山へ登りました。
春と秋のお彼岸さんの1週間は裏山にある播隆山一心寺で地獄絵の軸がずらっとかけられます。
12幅の地獄と1幅の極楽絵です。
幼い頃、鉦の音を聞くと「早く、早く」と待ちきれなくて、おばあちゃんを急かせて山へ向かいました。
播隆山で食べたおむすびは美味しかったな~!
子供に恐ろしい地獄の絵を見せて「悪いことをしてはいけないよ」と教える年2回の歳時記でした。
何年か前に庵主さんがいなくなり、お彼岸でも見られなくなってしまいました。
そしてコロナにより完全に封鎖されてしまったのです。
ゑんま様と聞くと「地獄の王」「嘘をつけば舌を抜かれる」と思っている人も多いのですが、実のところはそうではありません。
この世とあの世の間、地獄と極楽の間にいる裁判官で、人間界を見守ってくれているのだそうです。
平安時代、宮廷に仕えた優秀な官吏に小野篁(おののたかむら)という人がいました。
「わたの原 八十島(やそしま)かけて 漕(こ)ぎ出でぬと人には告げよ 海人(あま)の釣り舟」
あの有名な小倉百人一首の句を詠まれた人です。
彼は平安時代に仕え、非常に優秀な仕事ぶりであったそうです。
頭脳明晰にして博学、博識、さらに優れた実務能力を持った官吏でその体躯は188センチの巨漢で、並みの人物ではなかったようです。
あの世とこの世を行き来し、昼はこの世で朝廷に、夜はあの世に渡り閻魔法王に仕えていたといわれています。
六道珍皇寺(京都市東山区)には小野篁が、地獄との行き来に使っていたといわれる井戸があり、数多くの伝説が残っています。
『源氏物語』著者、紫式部の地獄行きを阻止すべく、仕えていた閻魔大王に口添えをしたともいわれています。
篁自身も一度、臨死体験をしています。
そのとき冥界で、地蔵に出会い人々に救いの手を差し伸べ、また代わりに責めを受ける姿を見ました。
そのとき地蔵菩薩に「救ってやるかわりに、地蔵信仰を広めて欲しい」と頼まれたことから、この世に戻った後、六体の地蔵菩薩を彫り地蔵信仰を広めたといわれています。
お地蔵さんと閻魔さんは表裏一体です。
閻魔さまの怖い姿は、地獄の恐ろしさを知らせて地獄の苦しみを自らも感じている表情ともいわれています。
閻魔さんの怖い顔の裏はお地蔵さんのやさしい顔なのです。
善人には非常に慈悲深い顔にも見えるのです。
身近に祀られているお地蔵さまは、地獄でも苦しむ人々の身代わりになってくださる仏様なのです。
あいにく、この春も播隆山の地獄絵を見ることが出来ませんでした。
でも、どこからもともなく匂ってくる梅の香り、ふきのとうの芽吹き、ソメイヨシノに先んじてカワズ桜を見て「地獄絵は見られなかったけど、来て良かったな」と思えるのです。
確実に季節は春向かって動いています。
あと何回こんな季節を感じることができるんだろう。
一日一日を大切にしたいなと思うのです。
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