玉三郎と鼓童さんの「幽玄」を見に大阪、松竹座へ☆歌舞伎の思い出
今日は大阪、なんば 初・松竹座へ。
「幽玄」世阿弥の世界をテーマに、坂東玉三郎さんと世界的な太鼓の集団、鼓童さんたちのコラボによる舞台です。
歌舞伎は江戸時代からオシャレして行くものなので、新春歌舞伎でもあったので母は大島の生地に辻が花、私は京友禅の付下げを着て行きました。
やはり華やかな着物を着ると気持ちもウキウキ上がります。
京都で過ごした学生時代はよく歌舞伎を見に行っていました。引き続き日本舞踊を習っていて、そのお稽古場が南座の裏でした。
12月に行われる顔見世は京都のお婆さんが毎年連れて行ってくれて、その見どころや幕間の過ごし方、楽しみ方を色々教えてくれました。
「面白いなぁ」と思うと踊りのお稽古のついでに4等席を学割で買って何度も見に行っていました。
亡くなった富十郎さんと先代の雀右衛門さんの「二人椀久」はお婆さんが「コレは二人の素晴らしい芸だけど、日本の宝です。見られるだけ見て、しっかり目に焼き付けておきなさい」と言われたのでそれから上演中1ヶ月足らずのうちに6回見に行きました。
4等席って「天井桟敷」とも言うのですが、本当に天井がすぐ上にあってビックリ!
おまけにそこは「大向こう」と言われる掛け声を掛ける人たちのメッカです。
「大向こう」とは舞台からいちばん遠いところと言う意味で呼ばれているとか。
びっくりするくらい大きな透き通った声で「おもだかやー」「はりまやー」と掛け声が飛び交います。役者さんの出身地や商号で「屋号」で決まっています。
見栄を切った時や花道から出てきた時など、一定のタイミングで景気付けにかけます。
初めはその声にびっくりして舞台どころではありませんでした(笑)
大声を出すことから、コロナですっかり今は無くなっています。残念!!
そんなに見に行っていたのに、いい役者さんが相次いで亡くなってしまったため、見に行く気がしなくなりました。
唯一、玉三郎さんは素晴らしいです。
玉三郎さんが若い時に見た「鷺娘」と「桜姫東文庫」の桜姫の美しさは忘れられません。
幻想的なブルーの舞台で真っ白な衣裳でしなやかに踊られる鷺娘、
桜姫のあらすじはともかく、これ以上豪華な衣装はないだろうと思われる真紅な地に桜の刺繍をいっぱい施した打ち掛けを着た桜姫。何十キロもの衣裳を付けてイナバウワーならぬしなやかなブリッジは思わず「おぉーっ」とため息が出ました。そのためにあの細い身体でスゴい筋トレをされていたとか。多分それがたたって腰を悪くされたのかと勝手に思っています。
この頃は演出や後進の指導に当たっていらっしゃるので、舞台を見られる機会は貴重になりました。
一方、鼓童さんは世界的な太鼓奏者の集団です。私は勝手に親近感を持っています。
コロナ前でしたが、難波にある創業180年を超える老舗「たこ梅」さんへ関東煮(おでん屋)を食べに行きました。
社長、岡田哲生さんとは友だちで、そこで鼓童の人たちと会ったのです。
岡山の講演の打上げにわざわざ「たこ梅」さんで!
私たちは驚きましたが、本人さんたちは「もう二十年以上もココで打ち上げしてるよ」と涼しい顔。
それ以上にたこ梅の社長に会えたと大騒ぎで写真を撮りまくっていらっしゃったのを懐かしく思い出しました。
果たして、その舞台は想像を越えるものでした。
続く
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