栗山吉三郎さんの工房を訪ねて嵯峨野へ☆染めの職人さんの世界
「栗山吉三郎さんの工房を見てみたい」
久しぶりの京都へお出かけイベントは、気持ち良い青空に迎えられました。
ついこの前までは「単(ひとえ:裏がついていない着物)」でしたが、10月も下旬になると皆さん袷(あわせ)の着物でした。
「この桜が咲いたら綺麗でしょうね〜」嵯峨野にある栗山さんの工房はすぐ裏が山です。
と言うのも、着物を染めるには大変広い敷地が必要なので、街中にはほとんどなくなりました。
この柱から一番突き当たりの壁までが着物1枚分の長さ、約12メートル以上も必要です。
「『染めとは、染まらないところをいかに白く残すか』の技術です」
と言われたのは栗山工房の女性専務さん。
逆説の様ですが、確かに、素晴らしい技術と言われる工房や作家さんのものは染めてないところの白場がクッキリしています。だからこそ、染めた細い線や色が美しく浮かび上がります。
技術の差とはそう言うことなのですね。
はじめに全体の工程を簡単に説明してもらいました。
右から左へ、上の列が地色を染める場合の工程、
下の列が地色が白の場合です。糊伏せする水色の場所が多くなります。
図案(染める柄)を型紙に写して、型彫師が文様を彫り上げます。
型紙は手漉きの和紙を何枚も重ねて手作業で柿渋液で張り合わせ、天日に干して作られます。型紙は、絹の紗(透ける織り方の生地)と漆を用いて「紗張り(しゃばり)」という、染色のための補強が施されます。
図案はこんな柄です。
型紙はこんな感じになります。
染める生地の上へ型紙を置き、水色の糊を塗っていきます。その部分は染まらず、白いまま残ります。
型紙の穴が空いている部分は白く残す部分です。そこに水色の糊を塗っていきます。
水色は昔は露草の花のしぼり汁でした。露草の水色は水に流せば完全になくなります。平安時代には消えてなくなる儚さが和歌などに詠まれました。滋賀県の畑で多く育てられていましたが、今はほとんど化学線量になりました。
「ツユクサ」「青花」についてはこちらをご覧ください。
下絵を描く「青花」を育てているのは全国でたった一人のおじいさん
ノリが乾いたら他の色を手作業で差していきます。
手作業で柄の部分の色付けをしていきます。
染めあがった布は一旦、蒸し工場で色を発色させた後、色止めし、糊を落としていきます。
昔は「友禅流し」と言われて、川でしていた作業です。今は専用の大きなプールで行われています。
水を触ってみたら結構冷たくて、そこに浸かっての作業は大変だと思いました。
静かに黙々と最後の検品をされていました。
きっと何もかも承知している方しかできないのでしょうね。
たくさんの職人さんが黙々と作業されている工房には緊張感がありました。
一つ一つの作業に手間を惜しまずこなしていらっしゃる様に触れて帰ってきました。
栗山さんのファンにはたまらない1日でした。
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