女形と言う芸術 ☆ 映画「国宝」で思い出した中村歌右衛門さん

「あっ、歌右衛門さんだ!」
手紙に貼ってくださった切手で思い出した。
初めて中村歌右衛門さんを見た時、
顔が長くて、大きい、馬面 (失礼)お年を感じるお肌、どう見ても真っ赤なお姫様衣装は似合わない、
なんて、一瞬たりとも思った自分が浅はかだった。
女形で最高峰といわれた6代目中村歌右衛門さんの八重垣姫を見ているうちに
男性なのに、
お年を召しているのに、
若くて、美しいお姫様にしか見えなくなっていた。
「普通にはびっこを引いて歩いてはるのに舞台の上ではそんなこと微塵も感じさせない。どうしてあんなことできるんやろ」京都のお祖母さんはいつもそう言って歌右衛門さんを讃えていた。
私が初めて歌右衛門さんを見た時はもうびっこをひいて歩いていらっしゃったのだ。知らなかった〜〜

京都・南座の向かいに出雲阿国の像があります。
歌舞伎は徳川家康が江戸幕府を開いた1603年に京都で出雲阿国によって始められた「かぶき踊り」がルーツだ。
幕府が風紀の乱れを理由に女歌舞伎を禁止したために、男性のみで演じる「野郎歌舞伎」へと発展した。女性役は、男性が演じる「女方」(おやまとも言う)として確立され、歌舞伎独特の表現を生み出している。
「手を少し斜めにして小さく見せなさい」
日本舞踊の師匠によく言われた。私の手はグローブのように大きくて、指をピンとするとさらに大きく見えてしまう。大きな手は華奢な女性像を演じる場合、邪魔でしかない。
男性が女性を演じるのは、身体的なハードルは高い。
一般的に、男性はガッチリした骨、筋肉量が多く、体脂肪率が低い、体に丸みがない。
女形は、単に女性を模倣するだけでなく、高度な演技力や表現力、そして、女性的な立ち居振る舞いや仕草を習得する必要がある。
女性の持つ内面的な美しさや魅力を表現する芸術として発展してきた。
2026年、
福助が七代目中村歌右衛門を襲名し、女方の大名跡「歌右衛門」が13年ぶりに復活、
同時に、児太郎が十代目中村福助を襲名。
親子での襲名披露興行は来年3月、4月の歌舞伎座から始まる。
福助さんが襲名披露にどのような演目をされるのか、誰が出演されるのかも楽しみで仕方ない。
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