「お花見の宴」はなぜ桜だけ?
とうとう桜の季節がやってきました。
昨日は東海テレビで1日中、当店の近くの霞ケ渓(かまがたに)から中継していました。中部地方在住の方はご覧になった方も多買ったのではないでしょうか。
今日あたりはすごい人だったでしょう。
先日、着付け教室に来ていただいている方たちが霞ヶ渓でランチ会をしました。
その時のお話はこちらです。
岐阜県の桜の名所、霞ヶ渓で着付け教室のランチ会☆ソメイヨシノと山桜
毎年、桜の季節が近づいてくると桜前線に注目が集まります。
桜の命をはかなくて、花見のカレンダーを睨んで計画を練ることになります。
それにしてもなぜ日本人は花見が大好きなのでしょうか。
実は花見には二通りの方法があります。
一つは菖蒲やさつきなどの名所に出かけて行って眺める方法、
欧米人のバラ鑑賞とか、中国のボタン鑑賞と同じです。
もう一つは花の咲く木の下に入って花を愛でる方法です。
秋の紅葉は花では無いのですが、赤く色づいた紅葉の下を散策し、肌を見上げて愛でるところは、桜の花見と似た感覚があります。
そしてこれこそが日本独自の花見のスタイルといえます。
木の下に入る花見の形が生まれたのは日本には古来から美しいものに生命力を感じそれに触れることでエネルギーを分けてもらおうとする考え方があったとみられます。
桜の花見にも、元は木の下に入って花粉を浴びることで花の力を受け止めると言う意味合いがあったのです。
桜の語源は大和言葉で、「さ」は田の神、穀物の神様、「くら」は神さまが座る御座(みくら)を示すそうです。
農耕民族の日本人が春に桜に宿る神に料理と酒を供え、
そのおさがりをいただきながら豊作を祈願したのが花見の宴の始まりとか。
平安時代には貴族が桜の下で和歌を詠むなどして楽しみに興じました。
江戸時代になって行楽としての花見が庶民に広がりました。
木の下で飲食するのは神と共に食すると言う古代神神の名残ともいえます。
今年はそういったお花見の縁が開催できなくて残念です。
それでも桜が咲きます。
入学式に桜は付き物ですが、今年は卒業式に咲いてしまいました。雨が降ったり、春の嵐が吹くと潔く散ってしまう桜だからこそ心惹かれるのでしょう。
なんとか入学式まで保ってほしいものです!
ハラハラしながらスケジュール表と天気予報とにらめっこが続きそうです。
桜を愛でる気持ち、ウキウキした気持ちを大切にしたいと思います。
だって、今年の桜は今年しかないのですから。
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