阪急電鉄、宝塚の生みの親「小林一三生誕150年」☆「品格の教科書」最終章 ほろ苦い思い出
「あっ、小林一三、生誕150年の節目の年なんだ〜」
大阪からの帰り、阪急電車の中吊りの広告が目に入りました。
明治時代に大活躍した実業家「小林一三」は私にとっては聞き慣れた人でした。
戦後の動乱期、山本呉服店はどん底でした。<「品格の教科書」の最終章参照>
終戦前、物がなくなり配給切符というのが配られて山本呉服店は国から委託されて物と交換する唯一の指定店になっていました。
しかし敗戦して配給は無くなり、物は「闇市」でぼったくり値段で取引されるようになりました。
「国からの御用を受けていた店が終戦になったからと言って手のひらを返すようなマネはできない」堅物だった祖父は闇の物は売らないと決めました。
店には商品は無くなりました。
当然、生活にも困るようになりました。
祖父はツテを頼りに美術品の蒐集家で有名だった小林一三に刀剣を2本持って会いに行きました。
生活に困ったために買ってもらいに行ったのですが、ご自宅の応接間に通していただいて雲の上の人に会って来たんだと話す祖父は手柄話をしているように思えました。
何度も聞くうちにいつの間にか、私には小林一三という人が身近に感じられるようになったのです。
逸翁美術館の館内には小林一三(逸翁)が自ら考案した「即庵」を、「即心庵」として再現してあります。客はお手前する3畳の座敷を囲んで椅子に座ってお茶を楽しめる画期的な茶室です。
しかも椅子に座った目の高さが、座敷に正座しているのと同じ位置に考えられているという伝統と現代生活が見事に調和した空間です。
正座が当たり前の時代に、まして茶道の世界でこのような考え方ができたのは驚きです。
期間中の日曜日には呈茶(お抹茶をいただける)されるそうです。
祖父から聞いた話も70年も前の話になるのですね。
祖父が持ち込んだ刀剣がどのような物だったかはわかりませんが、妙に親しみを感じるのです。
3月17日までに行ってみたいと思っています。
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小林一三を身近に感じることができるとは、素晴らしいです。先々代は、闇物資を売りたくなかったから先祖代々伝わる刀剣を売却したわけですね。商売の筋を貫いたこと「ほろ苦い思い出」ではなく「誇りにしたい」と表現した方が良かったと思います。