店がどんどん変わっていくのを確信できた事件

由紀子の日々

店頭商売へ切り替えた次の年、ベテラン社員2人が相次いで辞めると言い出しました。

「自分たちがこれほど貢献してきたのに認めていない」と面白くなかったのだと思います。でも後戻りすることは全く考えていなかったので、引き留めませんでした。当然、売上げが落ちるのも覚悟の上でしたが、全く変わりませんでした。

 

お客様の家へ伺っていた時は社員個人との結びつきが強く「社員のお客様」でしたが、通信を店から発行することによって「店のお客様」へと変わっていたのです。

 

担当者が変わっても、何も問題は起こりませんでした。

 

それにホッとしたのも束の間、半年後には私が病気になって3ヶ月全く店へ出られませんでした。年末年始の大変な時で成人式、イベント、色々やらなくてはいけない仕事も一番多い時期でした。それまで通信も私と娘が2人で作っていましたし、私自身が一番沢山のお客様を担当していてその負担は考えただけで大変でした。それでも皆が力を合わせてお客様に迷惑をかけることもなく乗り切ってくれました。

 

私が復帰した時、ホッとしたのか社員たちが次々と原因不明の熱を出して3日4日と休みました。いつも病気なんかした事ない元気な人たちばかりなのに、あの時はなんだったんだろうと未だに語り草になっています。きっと張り詰めていた気持ちが緩んだのでしょうね。

何も変わらずにやっていてくれたのを感謝するとともに、今までの仕事一辺倒の生活には限界があることを思い知りました。

 

「そのままやっているのならあなたはこの世にいてはダメ」と神様に言われた気がしました。

 

病気によって、今までのやり方、考え方、生活のあり方が全て否定されたと思いました。

 

社員にも定時で帰ることをもっとうとし、時間内に仕事をより充実させて完結することにしました。

 

忙しい土日でさえ、家庭を優先させて社員同士が「お互いさま」の精神で助け合う空気を作り出していきました。

今でいう「働き方改革」ができました。

 

 

命の危険を感じた時、真剣に生かされている意味を考えるようになりました。

 

「江戸時代から続く呉服屋の一人娘として生まれ、着物を広めることで誰かのお役に立つ」それが私の使命だと思いました。

早期に退職して悠々自適なんてことも考えた時期もありますが、私はその使命により生かされているのだと強く自覚するようになりました。

 

 

歌舞伎舞踊に「三社祭」という演目があります。

善玉と悪玉が雲の中から降りてきて、隅田川に網を投げる漁師二人に入り込み軽妙に踊ります。(写真social mateさんより)「いい顔をした幸運」も、「悪い顔をした不運」も訪れます。その時、私はこの踊りの場面が目に浮かびます。(本当はちょっと意味が違うのでしょうけど)

 

幸運はもちろんウエルカムなのですが、「悪(不幸)」の仮面の下の素顔は「善(幸運)」よりももっと「大吉」なのではないかと思えるのです。

 

 

「困った」と思える事件は何かを示唆して現れ、それを乗り越えることによってもっと大きなチャンスが訪れました。

 

後から考えてみると「それがあったから今がある」と思えます。

つづく

以前の話はこちらです。

僻地「揖斐」に感謝!山本呉服店の出店は人口減少から

 

着物を取り巻く外部環境の変化と苦悩☆きもの業界は今

 

DMをやめて「通信」を発行☆通信はお客様にメッセージを伝える武器です。

タンスの中で着物を眠らせない☆情緒的な体験、イベントでコミュニティー作り

 

 

 

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山本由紀子

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明治創業、岐阜の山本呉服店に生まれ着物に囲まれて育つ。大学時代を京都の親戚で過ごし金沢の呉服屋さんで勤め山本呉服店入社、代表取締役。雑誌商業界などで「売らず...

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